レベルという概念に疑問を感じるという投稿が Twitter 界隈で盛り上がっていた(らしい)。
「それが凄い無駄に感じるようになった」というのも、わかる。
数多の RPG をしていると段々めんどくさくなってくるのだ、レベル上げが。
どうせその先にあるのは数値上昇だろ? とか思っちゃったりする。
そしてそれ程間違ってはいない未来がそこにはある。
でも、なぜだろう。気が付くと…。
延々とクッキーの枚数増やすだけのクッキークリッカーとか黙々とやってたりする。
170 quattuordecillion ってのは数字で書くと 170, 000,000,000,000,000 かな?
途方もない数字のインフレ、これでも最初は数字が 10 とか 20 とか少しずつだったんだ。
10 の頃もインフレの今も、やってることはクッキーをクリックするだけ。
プラス自動的にクッキー作成してくれる施設が充実してくると、もはやクッキークリックすらせず、時々施設増強の面倒を見ているだけとなる。
これの一体なにが面白いのか?
真顔で問われると、思わず視線を外して「……そこにクッキーがあるから」とかよくわからん答えでゴニョゴニョ誤魔化しそうだ。間違いない。
これではゲーム生産者としてあまりにもひどいので、少しはまともな答えになるよう頭をひねってみようと思う。
レベル上げは初心者の救済
これは間違いのない回答の一つだと思う。
彼女が(あるいは彼氏が)全然ゲームやらない人ならちょっとやらせてみるといい。
ゲームに慣れた人は驚愕だが、そもそもゲームやらない人は、3D 空間をスティック使ってまともに移動…これがまず出来ない。
コンボとか絶対無理。地球しか知らない人に無限の宇宙を語っているかのような、絶望的な虚無感に襲われる。
対戦ゲームなんて、ボタンガチャガチャやるだけで、ひたすら祈るだけの運ゲーでしかない。
こういう人にとって、「メニュー形式のゲーム。レベルをひたすら上げて物理で殴る」というゲームは理にかなっている。
普段ゲームしないのに、スマフォポチポチゲーをしている人は多い。
いつも手元にある暇つぶしとして機能しているだけでなく、「考えなくても操作できる」これが一番大きい理由だと思う。
ゲームに頭使いたくないんすよ世代
ゲームをガチプレイしているのは10代~20代前半が一番多い年齢層だろうか。
この世代のゲーマーは好きなゲームであれば平気で徹夜できるし、自分に残された無限(と思っているだけだが…)の時間をひたすらゲームにつぎ込める。
俺経営者なんだけど、黙ってても金が入ってきて暇すぎるから延々とゲームやってる。こんな人にも出会った事あるけど、全人口の 0.001% とかだと思う。
本当に人生暇そうなのは、ちょっと可哀想
これが、30代後半を過ぎてくると子供だったり、職場だったり、徐々に自分の時間を他人に切り取られる世代になっていく。
そこにはもちろん幸せもある(と思う)けど、昔のような「自分だけの時間」はだいぶなくなっているし、考えなきゃいけない事もいっぱいあるしで「何も考えたくない。ただボタン押してたい」なんて風に感じるようになる。
そこまでしてゲームしたいか? と考えてゲームしなくなっちゃう(動画勢とか)人もいるけど、プレイする人はやっぱり「レベルをひたすら上げて物理で殴る」ゲームを望んでたりする。
なぜかって? マリオは出来るけど、家でゲーム機を前にして1時間プレイする、その時間すら取れないんだよ。
レベル上げが空しいと「思える」のは、選ばれたゲーム民
そんなわけで、レベル上げなんて空しい、クダラナイと言い切れるのは、実はそこそこゲームが出来て(上手くて)、しかも時間が有り余ってる人、もしくはそれに人生を捧げる選ばれた民の回答だった、という結論。
自分はおそらく、くだんのハテナブログを投稿した人より歳を取っているのだろうが、選ばれた民側でいようと努力している。
自分のプレイスキルが上がるようなゲームは好きだから。
でも、そう思いながらクッキークリッカーやっている。
「レベルをひたすら上げて物理で殴る」ゲームはクダラナイ。失くせ。
これが実現したら、長い目で見てゲームという文化は確実に市場を狭めるだろう。
間口が広くいのも、ゲームの醍醐味だ。
気軽にゲームを遊びたいという要求、ちまちまプレイしていれば確実に前に進んでいるという充実感、レベル上げはそういう欲を満たしてくれる。
そればかりだと「作業感」が強くなるから、ゲームデザインは上手にする必要はあるけれど。