ちょっと言いすぎかなとも思いますが、芦原妃名子さんが亡くなったことについて自分なりに思った事を綴って行こうと思います。
作家の立場
作家にいくら自分の産みだしたい作品のカラーがあり、それを熱弁したとしても、出版社が
「そういうのじゃないんだよねぇ……」
「愛とか、友情とかさ、そういうのわかりやすく入れてくれません?」
「ちょっと中だるみしてるから、誰かひとりコ〇しましょう」
そう言われて、泣く泣く言う通りにした作家さんは多いはず。
なぜかと言えば、作家は出版社からお金をもらっており、それで生活してるからです。
つまり、生殺与奪の権利は出版社にあります。
これを出版社の人間は意識し、出版社と作家双方が幸せになれるようバランシングするのが基本ですが、なかにはその権利を人質に、自分の言う通りに作家を動かそうという編集者(あるいはそれより上役)もいます。
脚本家の立場
脚本家はもっと立場が弱いかもしれません。
原作ありきであれば、念頭にあるのは「原作をどれだけ尊重できるか」。
もちろん、100% 尊重するのは難しいこともあるでしょう。たとえば4コマなのに 30 分のドラマにしろと言われて全く同じにすることはできない。
そういった場合「原作の何にスポットを当てるか」、原作家の思う、そして時には原作家が思ってもいなかった原石を拾い出し、視聴者に提供することが求められます。
原作の読者と、テレビの視聴者は求めているものが違います。
コンシューマーゲームとガチャゲーくらい違いがあるかもしれません。
その作品をなんとなく外から傍観している人は「どっちもゲームでしょ?」くらいの感覚ですが、求められるものはだいぶ異なりますよね。
脚本家はコンシューマーゲームが好きな人も、ガチャゲーが好きな人も同時に楽しませるような舵取りをセリフ一つ一つに込めていく必要があります。
「原作家が脚本を書くのは難しい」と言うのはこのへんも一因です。
カメラや空間、セリフや音楽で繋ぐであろう間の意識……など、他にも色々ありますが。
ただ、脚本家にとってこれは日常のことであり、このレベルで問題が終わるならなんとかやれるんだけど……そう思っている人も少なくないかもしれません。
脚本家が悩むもっと深い理由。それはプロデューサーであったり、局の意向ではないでしょうか。
脚本家にとってのプロデューサーは作家にとっての出版社と同じです。
ギャラという生殺与奪の権を握られています。
たとえば、プロデューサー君(あえて、君をつけます)が
「この作品のキモはAだってわかるんだけど、テレビの視聴者は望まないし、どうせわからないんだよね。それより恋愛ものにしてもらえる?」
こう言ったらどうでしょうか?
A. 作家の意思を尊重する
作家も、ファンも当然こっちを選んで欲しいと思っているし、脚本家だって基本はそうしたいと思っているでしょう。
そして、脚本家がその道を選んだ場合、プロデューサー君が次の仕事を回してくれないかもしれません。
仮に原作に準じた作品を提供し、それがウケたとしてもです。(莫大な利益が出れば、別ですが)
なぜなのか?
それは、プロデューサー君は自分の言った言葉にプライドがあり、脚本家がそれを無視したと感じているからです。お前、俺が誰だかわかっているか? 俺がお前を活かしているんだ、と。
作家もファンも納得の脚本を書いた結果として、一人の脚本家が路頭に迷ってしまいました。
脚本家はただ、いい仕事をしただけなのに。
また、こういう実情を脚本家が語ることはありません。
当たり前ですよね? 生殺与奪の権を握られているからです。
B. プロデューサー君の意思を尊重する
そういうわけで、プロデューサー君の言葉がどれほど軽薄で納得のいかないものであったとしても、それを無視できず、時には原作が目指している方向とは全然別の舵取りを強いられるでしょう。
これは「たまにそういうことがある」ではなく、「結構ある」と思います。
もちろん、それによって(例え原作者の望む形ではなかったにせよ)商業的に成功することもあります。作家の意向と、世間の評価はまた別にあるからです。
だからこそ、話はややこしいのです。
テレビ局はいち作家の経験では到底追い付かないほど大量のドラマを製作してきた経験がある、我々の流儀の方がカネを稼げる。そう思っています。
出版社が儲かるほど、原作者は儲からない
ドラマによって実は出版社も(自分たちはほとんど何もせず)儲けが出ています。
原作者は儲けがある場合とない場合がありますが、例えあったとしても雀の涙のようです。
たとえば有名な「海猿」ほどメガヒットすれば作家は一生食えるんじゃないかと思いたいところですが、現実には数百万がいいところ。サラリーマンの平均年収に満たない? レベル。
1クールのドラマ化されるレベルだと、月の給料にも満たなかったりするかもしれませんね。
「ドラマ化してやるんだから、単行本も売れるでしょ? ノーギャラで」
「今までこの業界はそうしてきたんだから、アナタだけ特別扱いはできないんだよ?」
「いやなら断ってください(* 出版社はやりたがる)」
局が直接こう発言するわけではありません(ないと信じたい)が、作家に対して、内心はこんな感じです。
そして出版社としては、
「なにもしなくても俺たちが儲かる機会を逃したくない」
「原作家さえ説得すれば、後はどうにでもなる」
見切り発車感バリバリの状態で契約スタートすることも全然あると思います。
それでもまだ、ちゃんと原作家が納得するよう説得してくれればいいんですが、説得すらせずスルー。時間が経って原作者が呑むしかない状態を作る、という最低な牛歩戦術もまかり通っています。
原作家にはただ、こうささやきます。
「もう、プロジェクトは動き出してしまっているんだ」
「あなたが否定すれば、大勢の人が職を追われ、困ることになるんですよ」
それでも自分の作品のために、ドラマ制作を否定・解散まで持っていける人間はそうそういません。
いたとしても、それまでにとても傷つく経験をしていることでしょう。
組織は個人を軽視する
ほとんどの場合、組織に勤める人間にとって服従すべきは自分の属する組織です。(出版社や、局)
なぜかって? これもまた、組織に勤める人間は組織に生殺与奪の権を握られているからです。
嫌だったらやめればいい? それは、その能力と勇気がある人間にだけ許されたカードです。
世の中のほとんどの人がそのカードを持ち合わせていないか、売り切れているので、結局組織に隷属するしかないと考えてしまいます。
もちろん、作家の意見をなるべく尊重したい社員もいます。
では、その社員は果たして、その作家を生涯守る事ができるでしょうか?
部署移動という形であっさりと関係を切られてしまい、次にアサインされる編集者は、作家に微塵も思い入れがないかもしれません。
いくら元編集者に謝られたところで、そこから先は作家が孤軍奮闘するしかないわけです……。
偏った意見であることは、承知の上で……
ここに書いたことは偏っています。悪いのは組織ではなく、作家や脚本家の場合だってある。
どこかが悪いという白黒ハッキリした問題点などなく、誰しもがグレーで、時々によってその明度を明暗させていると思います。
それでも敢えて組織に問題がある、といいたいのは「それを言う人(考える人)があまりにも少ない」からです。
実はこれが、横暴な組織を強化してしまう最大の問題だと思っています。
みなさんはいい作品に出合った時、こう思っていませんか?
〇〇先生の作品、最高だ!
やっぱり〇〇プロデューサーは本当にいい作品を作ってくれる
「これの何が悪いんじゃい」と思っている人のお陰で、今日も出版社やテレビ局はヌクヌクしていられます。
さっきもお話した通り、作家も、脚本家も、ゲームクリエイターも、仕事でやっている以上お金が必要であり、資本(お金)を投入している人の影響を少なからず受けます。
お金だけ用意するから後は好きにしてくれ、そんな投資家はいないし、たとえいたとしても時限装置付きです。
しばらくして成果が出なければあーだこーだ、先生の過去ヒットしたのと同じような作品作ってくれればいいんだとか言い出したり、最悪資金援助を打ち切られたり。
過去ヒットしたのと同じようなの作れ(作ってくれるだけでいい)、はとてもよく聞くパワーワード。
投資家の思惑は「投資した以上に儲ける事」ですから、「自分が儲かると思う方向に作品をネジ曲げる」こともよくあるのです。
出版社やテレビ局という投資家の意識は、漫画を買っている、あるいはテレビを見ているファンが握っています。
そのファンに「こいつら最低だ」とボイコットされないと、いつまでもこのままです。
でもファンは漫画家であったり、プロデューサーのことは考えていても、出版社やテレビ局なんて興味がないので、ボイコットが起こることはないのです。
結局悪意の集中砲火を浴びるのが、作家や脚本家ばかりなのも、そういう理由です。
ファンは知らないことに意識が向かず、知っていることだけでシロクロつけようとするからです。
〇〇先生はもうダメだな、なんていう話の裏で編集者が変わっているかもしれません。でも、編集の〇〇のせいだな、なんていうファンは(内部の人間でもない限り)聞いたことがないですよね。
作家が全ての責任を引き受けている裏で、出版社は作家よりも多くのお金を手にし、中傷を受けることはない。
そして、歴史は繰り返されます。
- プロデューサーがなにげない「不可侵の一言」で炎上の種を撒き、脚本を困らせる
- 作品を産み出した作家や脚本家が、炎上によって魂を削られる
- (炎上で)有名になった漫画は売れ、ドラマは視聴され、出版社やテレビ局はただ儲かる
組織は守られ、これからも作家だけが傷つく
これからも組織は守られていくでしょう。法務を含めたとても大勢によるチーム戦、金は自分たちが出してるんだという優位性、例えダメージを受けたとしても炎上は組織の人数による割合ダメージ、盤石の体制です。
翻って、作家は孤独です。金は組織から得る手段しかなく、ダメージはその全てを一人で浴び続けているのです。
昨日は平気だと思ってたのに、今日はもう死にたいと思った、そんな狭間を行きつ戻りつした経験は、絶対強者に見えるテイラー・スウィフトですら体験しています。
その中でふと死を選んでしまうことは、今の組織強者な体制が続く限り、これからも変わることのない現実だと思います。
最後に。芦原妃名子さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。