Nexflix などの動画サイトで昔よりも遥かに安く、大量の動画を消費することが可能になったためか、倍速視聴がないとみる気がしない、と言う人が増えてきました。
動画みながら Twitter のタイムライン追っかけたり、Tiktok の面白動画検索している人もいることでしょう。
このように視聴体験が変化していく事で、受け取る側にどういった変化があるのか。
私の経験を踏まえつつ、考えていきたいと思います。
Nexflix(動画配信サイト)によって得られたもの
これはもう間違いなく「数多くの作品に触れることができる」という点です。
昔であれば映画評論家でもなければ観ることのなかった本数、もしくはそれ以上のものが月額1000円程度払うだけで観放題です。
夢のような環境ですよね。TSUTAYA に 24 のレンタル代を万単位で突っ込んでた自分が哀れです😭
期限つきの動画もありますが、テレビと違って自分の観たいタイミングで観れるというのもいいですね。
能動的に「観たいものを録画する」のではなく、受動的に「なんとなく探して、観始める」。
買いたい本を買いに行くのではなく、ブラッと入った本屋でフッと興味が湧いた本を手に取るような感覚。
時間を縛られるのが苦手な私にとって、なんとも贅沢な気分を味わえます。
お陰で私は動画配信サイトにドップリ浸かっていました。
得られないもの
ですが、こうして夢のような時間を過ごしていると、次第に「あれ?」と感じるようになりました。
観た作品が記憶に残らない
次から次へと色々な作品を享受してきましたが、観れば観るほど作品を覚えられなくなってきました。
元々記憶力には自信がありませんが、一週間前に何観たか忘れる始末。
さすがに「観た意味あるのかな?」と。
もちろん全く覚えていないわけではないのですが、かなり面白い作品であったとしても熱量高く語れるほどには覚えていない。
「あーあれ面白かったよねー」「わかるわかる」というだけのために、私はその作品を観たのでしょうか。
観るのが億劫になる
これはひどい。観たくて観てるはずなのに、観るのが億劫とか感じ始めました。
その昔「つまらないアニメは1話で損切り」なんて言ってる人を見て、
損切りってなんやねん
なんて思ってましたが、気づけば私も損切りしてました。
それでもやっぱり、観るのはやめられない。新しい作品が次々に入ってくるし、とてもいいひまつぶ…。
あれっ? 暇つぶしとか考えちゃってる??
いちクリエイターでもあるので、こういう考えはしたくないと思っていますし、そんな自分を理性は戒めておりますが、私のなかの動物としての反応を正直に語るのであれば、こんな事を考えていました。
こうなってくると、スキップや倍速したくなってくる
そうなんです。
いつでも見れる、いくらでも見れることに甘え、私はここまで動画コンテンツを軽く感じてしまうようになってしまいました。
もう「観る」じゃなくて「見る」レベルに。
そんな軽く感じてるのに、見たい。でもダルい。じゃあ倍速…。
正直言えば私は倍速で見たいとまでは思っていませんが、このまま進んでいくと基本倍速と言い出しそうな予感がします。
そう、作品が大量にいつでも見れるから見ちゃう時点で、この悲しき運命は決まっていたようです。
作品との出会いを、恋に例えるなら
恋愛に限らず、人の全ての「経験」にあてはまると思うんですが、
- 初めて経験した事ほど印象深い(記憶に残る)
- どんな刺激も、繰り返せば鮮度は落ちてくる
どんなおいしいカツカレーでも1か月それだけで暮らせる人は稀ですし、どんないい作品であろうと、大量に見続ければやはり飽きちゃう、ということです。
スキップや倍速したくなっている人は、そもそも「俺はそれを必要としているのか?」と考えるちょうどいいタイミングなのかもしれません。
いつでも見れるからといって、義務のようにコンテンツ(このコンテンツ、という言い方も人によっては忌避されそうですが)を消化するようになった時、それは「楽しい」ものではなく「苦しい」ものになっている事でしょう。
自分が「楽しい」と思える作品との距離感を、上手く見つける。
いつでも作品を観れるようになった時代の私達は、こういうことを考える必要があるのかもしれません。